原子間力顕微鏡のロードマップ
Roadmap of Atomic Force Microscopy

菅原 康弘
Yasuhiro SUGAWARA
大阪大学大学院工学研究科
Graduate School of Engineering, Osaka University

  1. 背景
  2. 空気中で動作する原子間力顕微鏡の技術動向
  3. 表面電位測定における技術動向
  4. エネルギー散逸測定に関する技術動向
  5. 超高真空・極低温環境で動作する原子間力顕微鏡の技術動向
  6. 未来予測

1. 背景

 探針と試料表面との間に働く原子スケールでの力学的相互作用には、これまで測定することのできなかった実に多くの情報が含まれていることが分かっている。例えば、表面構造の原子スケールでの力学応答や、表面で生起する原子スケールでの原子や電子の移動効果、原子スケールのエネルギー散逸などである。原子間力顕微鏡(AFM)で測定される原子・分子・電子のこのような多様な情報は、各種現象の素過程からの直接解明法として大いに期待できる。また、その測定環境は、大気中から、溶液中、さらには、超高真空中と多岐に渡っており、それぞれの環境中での測定に対して様々な装置としての課題が考えられる。

 本報告では、まず、産業界で広く使用されている空気中で動作する原子間力顕微鏡の技術動向について述べる。次に、物性測定において極めて重要な表面電位測定とエネルギー散逸測定における技術動向について述べる。また、極限環境(超高真空・極低温環境)で動作する原子間力顕微鏡の技術動向について述べる。最後に、10年後の原子間力顕微鏡のサイエンスツールとしての未来を予測する。

2. 空気中で動作する原子間力顕微鏡の技術動向

 空気中環境で動作する原子間力顕微鏡は、一般に非常に簡便に試料の形状測定が行えるため、多くの装置が市販されてきた。探針を試料表面に接触させ、カンチレバーの変位から表面形状を測定する接触方式では、強い斥力により試料表面あるいは探針先端を破壊してしまう。そのため、探針から試料表面に及ぼす力の影響が極めて少ない振幅変調(AM)検出法(周期的接触法、タッピング法)が広く用いられてきた。AM検出法では、カンチレバーをその機械的共振周波数近傍で十分大きな振幅で振動させる。探針が試料表面から十分に離れている場合には、カンチレバーは、試料とは相互作用のない状態で、カンチレバーの内部摩擦による減衰を外部からのエネルギーで補いながら一定の振幅で振動する。探針が試料表面に近づくと、探針が試料表面と周期的に接触し、振動振幅は減少する。この振動振幅の減衰量が一定となるようにフィードバックを働かせながら試料を走査することにより、表面形状の画像を得る。探針・試料間距離が変化しても、振動振幅の距離依存性が反転しないため、探針・試料間の距離制御が容易である。AM検出法において、探針が試料表面に及ぼす接触力は、カンチレバーの振動振幅の過渡応答により、非常に弱くなるため、試料表面にダメージをあまり与えることなく表面形状の測定が可能となっている。しかしながら、測定によって探針先端が徐々に摩耗し空間分解能が低下するため、長時間再現性のある画像化が困難であることが指摘されている。

 一方で、AM検出法の問題点を解決する方法として、位相変調(PM)検出法[1]の利用が検討されてきた。PM検出法では、AM検出法と同じように、カンチレバーをその機械的共振周波数付近で振動させる。探針が試料表面に近づくと、探針・試料間の相互作用によりカンチレバーの位相が変化する。この位相シフトが一定となるようにフィードバックを働かせながら試料を走査することにより、表面形状の画像を得る。カンチレバーの加振振幅を一定にする測定モードでは、探針・試料間の相互作用が引力から斥力に変化する時に、位相シフトに不連続が現れると共にその距離依存性が反転し、探針・試料間の距離制御が困難になる。これを防ぐために、我々のグループでは、振動振幅を一定に制御する方法を提案した[2]。振動振幅を一定に制御すると、位相シフトに不連続が現れなくなり、探針・試料間の距離制御が容易になる。PM検出法は、AM検出法に比べて、力の検出感度が向上し[1]、AM検出法では測定できない非接触領域での探針・試料間距離の制御が可能となる。そのため、測定による探針先端の摩耗を防ぐことができ、長時間再現性のある画像化が可能であることが指摘されている。また、カンチレバーのQ値の制御も可能であり[3]、過渡応答時間を短縮することにより、高速測定も可能となっている[4]

表1 各種検出法の比較
接触/
非接触
励振
方法
フィードバック
ループ数
Q値制御 主な測定環境
AM 周期的接触 外部 可能 大気中、液中
PM (CA mode) 非接触 外部 可能 大気中、液中
FM 非接触 自己 真空中、液中

3.表面電位測定における技術動向

 試料表面の電位、電荷分布、接触電位差(CPD)を高分解に測定できる顕微鏡にケルビンプローブ力顕微鏡(KPFM)がある。一般にKPFMでは、試料表面の形状と表面電位を同時(あるいは時分割で)に測定するため、探針・試料間相互作用力と静電気力の測定が行われる。これら2種類の力の検出には、AM検出法やFM検出法が使用され、これらをどのように組み合わせるかによって、KPFMの動作方式は、表2に示したように分類される。

 (1), (2), (3)のKPFMでは、静電気力測定にAM検出法を用いており、電場変調周波数をカンチレバーの第1共振周波数あるいは第2共振周波数に一致させている。この場合、測定される静電気力の探針・試料間距離(z)依存性は、1/zに比例する[5]。この弱い距離依存性は、探針・表面間の静電気的相互作用に比べて、板バネ・表面間の静電気的相互作用が非常に大きくなり、高い空間分解能で表面電位を測定することは困難であることを意味している[5]。また、得られる表面電位は、形状測定のための探針・試料間距離制御によるアーティファクトに強く影響されることを示している[5]

 (4)のKPFMでは、静電気力測定にFM検出法を用いており、電場変調周波数でカンチレバーの共振周波数を周波数変調することになる。この場合、測定される静電気力の距離(z)依存性は、1/z2に比例する[6]。この強い距離依存性は、探針・表面間の静電気的相互作用が、板バネ・表面間の静電気的相互作用に比べて非常に大きくなり、高い空間分解能で表面電位を測定できることを意味している[6]。また、得られる表面電位は、凹凸測定のための探針・試料間距離制御によるアーティファクトの影響をほとんど受けず、試料本来の表面電位が測定されることを示している[6]。なお、電場変調周波数を位相ロックループ(PLL)回路の帯域外に設定し、カンチレバーの振動スペクトラムの側波帯成分を直接測定することで、形状測定の高精度化と表面電位測定の高速化も実現できる。

 最近、我々は、AM検出法の静電気力測定の問題点を解決できる新しいタイプのKPFM(ヘテロダインAM検出法)を提案した(表2の(5)と(6))[5]。この方法では、電場変調周波数をカンチレバーの第2共振周波数と第1共振周波数の差に一致させ、カンチレバーの第2共振周波数の振動振幅から静電気力相互作用を測定しようとするものである。この場合、測定される静電気力の距離(z)依存性は、1/z2に比例するようになる。FM検出法と同様に、高い空間分解能で表面電位を測定することが可能となり、試料本来の表面電位が測定されるようになる。AM検出法に基づく静電気力測定のため、空気中での凹凸測定で広く利用されているタッピングモード原子間力顕微鏡との組み合わせが容易となっている[7]

表2 各種KPFMの比較
KPFM 距離
制御
電場変調
周波数
静電気力
測定
静電気力の距離依存性 備考
(1) リフトモードAM-AM
AM f1st AM(1st) 1/z
(2) AM-AM
AM f2nd AM(2nd) 1/z
(3) FM-AM
FM
(4) FM-FM
FM PLL帯域内 FM(1st) 1/z2 タンデム型
PLL帯域外 側波帯検出型
(5) AM-Heterodyne AM
AM f2nd - f1st AM(2nd) 1/z2
(6) FM-Heterodyne AM
FM

4.エネルギー散逸測定に関する技術動向[8]

 FM検出を用いた原子間力顕微鏡の利点の一つに、探針・試料間に働く保存力と散逸力を完全に分離して測定できる点がある。カンチレバーの周波数シフトは、探針・試料間の弾性的相互作用に関係し、他方、カンチレバーの振動振幅を制御する信号の振幅は、探針・試料間の散逸的相互作用に関係する。この利点は、AFMデータの解釈を非常に簡単化してきた。保存力のコントラストメカニズムについては、多くのことが分ってきており、例えば、原子操作時の力の測定や原子種認識等に利用されてきた。他方、散逸力の理解は十分には進んでいなく、長い間、様々な論争が行われてきた。散逸のコントラストメカニズムについては、実験と理論により広く研究され、多くのメカニズムの仮説が、実験により確認されてきた。しかし、実験で観測される散逸量が、理論的に予想される散逸量に比べて数桁以上も大きな場合がある。この散逸量の実験と理論の不一致は、カンチレバーの振動振幅を制御する信号の振幅が、探針・試料間の散逸的相互作用に関係しているのではなく、装置が理想的に動作していないことを示唆している。カンチレバーの励振には圧電体を用いた音響励振が用いられており、従来、励振の伝達関数は一定であると仮定されてきた。しかし、様々な理論的検討より、励振の伝達関数を補償する必要があることが判明している。伝達関数の補償を行わないと、ステップエッジ付近での散逸像のコントラストが理論的に予想される結果と逆になったり、原子スケールの散逸像のコントラストが同様に逆になったりすることが判明している。特に、散逸に敏感な測定を行う低温環境では、これが問題になる。最近、音響励振の伝達関数を測定し補償する方法が提案され、その有効性が示されている。

5.超高真空・極低温環境で動作する原子間力顕微鏡の技術動向

 原子間力顕微鏡を用いて表面の構造を原子分解能で安定に画像化したり、探針・試料間の相互作用力を高精度に定量化・制御したりしようとすれば、高感度な力検出が必要不可欠である。一般に原子間力顕微鏡の変位検出計としては、光学的にカンチレバーの変位を検出する方式と電気的に探針の変位を検出する方式とがある。光学的変位検出方式には、カンチレバーの背面で反射されるレーザー光の角度変化からカンチレバーの変位を検出する光てこ方式と、光ファイバ端面とカンチレバー背面との間の光の干渉を用いた光干渉方式がある。光学的変位検出方式は、レーザー光をカンチレバー背面に高精度に位置決めする機構が必要であるが、様々なばね定数や共振周波数を有する市販のカンチレバーを利用できるという利点がある。また、光てこ方式は、カンチレバーのたわみとねじれの成分を同時測定できるという利点がある。電気的変位検出方式には、水晶の圧電効果を利用したqPlusセンサーやKoribriセンサーなどがある。電気的変位検出方式は、光学的変位検出方式のような高精度な位置決め機構が不要であるという利点があるが、使用する水晶振動子のばね定数や共振周波数が限定されている。

 原子間力顕微鏡の力検出感度は、①カンチレバーの熱ノイズ、②変位検出計のノイズ、③自励発振によるノイズ、④カンチレバーの共振周波数の熱ドリフトノイズによって決定される。これら4つのノイズは、統計的に独立である。超高真空環境では、カンチレバーのQ値が非常に大きいため、③の自励発振によるノイズは問題にならない。qPlusセンサーでは、①のカンチレバーの熱ノイズや②の変位検出計のノイズが支配的であり、Koribriセンサーでは、②の変位検出計のノイズが支配的となる。光てこ方式や光干渉方式では、④のカンチレバーの共振周波数の熱ドリフトノイズが支配的となる。

 超高真空・極低温環境で動作する原子間力顕微鏡においては、顕微鏡ユニットを構築しやすい光干渉方式やqPlusセンサー、Koribriセンサーが用いられてきた。最近、我々のグループは、世界で初めて、光てこ方式の極低温原子間力顕微鏡の開発に成功した。極低温環境では、④のカンチレバーの共振周波数の熱ドリフトノイズが大きく低減するため、極めて高感度な力検出が可能となっている。この顕微鏡を用いれば、カンチレバーのたわみとねじれの成分を同時に測定することが可能であり、探針・試料間に働く力の2次元ベクトルを測定することもできるようになった。

表3 超高真空・極低温環境で動作する原子間力顕微鏡の変位検出方式
測定方式 ばね定数 (N/m) 共振周波数 (Hz) 2次元ベクトル測定 極低温環境
光学的 光干渉 0.01-2 k 10 k-2 M ×
光てこ ?
電気的 qPlus 1.8 k 33 k ×
Kolibri 540 k 1 M ×

6.未来予測

 2025年までの原子間力顕微鏡に関するロードマップを図1に示す。超高真空・極低温環境で動作する原子間力顕微鏡の力の検出感度の大幅な向上と探針・試料間のエネルギー散逸を高感度に測定する技術の向上により、分子振動の検出が可能となり、分子種の同定ができるようになると期待される。また、反応ガス中で動作する高速原子間力顕微鏡の開発が進み、触媒反応の諸過程をリアルタイムにイメージングできるようになると期待される。同時に、表面電位を高速に測定する技術が向上し、触媒反応中の電荷移動現象をサブピコ秒で観察できるようになると期待される。さらに、将来的には、磁場とマイクロ波を組み合わせた外部刺激により、電子や核の持つスピンを高感度・高分解能に検出できるようになり、電子スピン配列の操作等が可能になると期待される。

 通常、原子間力顕微鏡では、探針直下の物質表面上の原子から働く力が検出されるが、本来、物質表面下の原子からの力も含まれている。このような長距離相互作用だけを分離測定すれば、これまで見ることのできなかった物質表面下の構造や複雑な分子の内部構造も画像化できると考えられる.これを可能とする方法としては、現在、コンピュータ断層像法(CT法)や磁気共鳴を利用した方法などが考えられている。斬新なアイデアに基づく方法が開発され、物質表面下の内部構造が画像化されることを期待したい。

図1 原子間力顕微鏡の未来予測

参考文献

  1. [1] N. Kobayashi, Y. J. Li, Y. Naitoh, M. Kageshima and Y. Sugawara, Jpn. J. Appl. Phys., 45, L793 (2006).
  2. [2] Y. Sugawara, N. Kobayashi, M. Kawakami, Y. J. Li, Y. Naitoh and M. Kageshima, Appl. Phys. Lett., 90, 194104 (2007).
  3. [3] N. Kobayashi, Y. J. Li, Y. Naitoh, M. Kageshima and Y. Sugawara, Appl. Phys. Lett., 97, 011906 (2010).
  4. [4] Y. J. Li, K. Takahashi, N. Kobayashi, Y. Naitoh, M. Kageshima and Y. Sugawara, Ultramicroscopy, 110, 582 (2010).
  5. [5] Y. Sugawara, L. Kou, Z. M. Ma, T. Kamijo, Y. Naitoh, and Y. J. Li, Appl. Phys. Lett., 100, 223104 (2012).
  6. [6] Z. M. Ma, L. Kou, Y. Naitoh, Y. J. Li and Y. Sugawara, Nanotechnol., 24, 225701 (2013).
  7. [7] J. L Garrett, D. Sommers, and J. N. Munday, J. Phys.: Condens. Matter, 27, 214012 (2015).
  8. [8] A. Labuda, Y. Miyahara, K. Cockins, and P. Grütter, Phys. Rev. B 84, 125533 (2011).
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