AFMによる細胞力学計測のロードマップ
Roadmap of Cellular and Tissue Mechanical Measurements by AFM

岡 嶋 孝 治
Takaharu Okajima

北海道大学・大学院情報科学研究科
Graduate School of Information Science and Technology, Hokkaido University

  1. はじめに
  2. 細胞の力学計測法
  3. 細胞の弾性率
  4. 細胞レオロジーのイメージング
  5. 細胞力学物性の網羅計測
  6. がん細胞の力学
  7. 単一細胞から生体組織へ

1.はじめに

 単細胞(大腸菌や酵母など)から多細胞(植物細胞や動物細胞)まで、SPMは細胞の形態観察だけでなく物性計測に広く使用されている。特に、AFMは細胞の局所的な力学物性計測に広く用いられている。大腸菌、酵母、植物細胞のヤング率が概ね10-1〜102MPaであるのに対して、動物細胞は10-4〜10-3MPa程と極端に柔らかい。細胞の種類によって、AFM計測技術自体が大きく変わることはないが、動物細胞と他の細胞種とではその力感度や測定環境の点で測定条件が異なることがある。

 本稿では、AFMによる基質に接着する接着性の動物細胞の力学計測の現状を概説し、今後の技術予測と細胞力学研究の展望について議論したい(図1)。 再生医療の実用化・産業化やバイオミメティック材料の発展と相まって、AFMによる細胞・組織の力学物性計測は、生物物理学の分野だけでなく医療・医学の分野において今後ますます重要になろう。

図1 AFMによる細胞力学計測のロードマップ。細胞の弾性率の計測手法に関する技術(黒)、細胞表面・細胞間力学相互作用の計測に関する技術(緑)、がん細胞力学診断に関する技術(青)、生体組織の力学物性に関する技術(赤)。

2.細胞の力学計測法

 細胞は自発的に運動、増殖、分化する生命の最小単位である。近年、これらの細胞機能が細胞力学物性と密接に関係していることが分かってきた[1]。接着点に働く力(牽引力)や力学伝播に決定的な役割をしている細胞骨格の力学特性(弾性率)の計測は、細胞機能の解明に本質的に重要である.

 AFMを用いた細胞の弾性率の測定において、フォースカーブ測定によるヤング率の測定が現在も広く用いられている。フォースカーブ測定では、AFMプローブを細胞に押しつけて、押し込み量と押し込み力との関係から、試料のヤング率を算出する(詳細は、「AFMによる弾性計測ロードマップ」を参照)。細胞は極めて柔らかい粘弾性体であるため、算出されるヤング率は押し込み速度に強く依存する。従って、フォースカーブカーブ測定から算出される細胞のヤング率は、測定条件に依存した“見かけの”ヤング率(Apparent Young’s modulus)と呼ばれる。このような事情により、細胞の弾性率の定量化には、粘弾性測定が欠かせない。

図2 細胞の粘弾性測定法。フォースモジュレーション法(左)、クリープ測定法(中)、応力緩和測定法(右)における押込み力(Force)とカンチレバーの位置(Position)の時間変化。

 粘弾性計測は、周波数領域と時間領域の測定に大別される(図2)。周波数領域の測定では、1992年にフォースモジュレーション法[2]が開発された。フォースモジュレーション法は1つの周波数(カンチレバーの非共振周波数)でカンチレバーを励振した状態でAFMプローブを細胞表面に押込み、カンチレバーの振幅と位相変化から細胞の弾性成分と粘性成分の弾性率を測定する方法である。本手法により1周波数の細胞の弾性像と粘性像のマッピングが可能になった[2]。  時間領域の測定では、1998年に細胞のクリープ測定[3]、そして、2006年に応力緩和測定が提案された[4]。クリープ測定法は、AFMプローブの押込み力を一定にした状態で、細胞への押込み量の時間変化から細胞のクリープコンプライアンスを測定する方法である。応力緩和測定法は、細胞への押込み量を一定にして、押込み力の緩和挙動から、細胞の緩和弾性率を測定する方法である。

3.細胞の弾性率

図3 動物細胞(線維芽細胞)の貯蔵弾性率G'(緑)と損失弾性率G''(白)の周波数特性。

 2000年初頭に様々なマイクロレオロジー計測技術が発展し[5]、単一細胞の複素弾性率(貯蔵弾性率と損失弾性率)の理解が一気に進んだ。2003年には、AFM法による複素弾性率測定法が確立し[6]、AFMによる細胞レオロジーの定量計測法の基礎は2000年代に確立した。分子レベルと個体レベルの中間のメソ領域の細胞固有のレオロジーは、1kHz以下の測定周波数領域で見られる[5]。典型的な動物細胞の貯蔵弾性率(弾性成分)G'と損失弾性率(粘性成分)G''を図3に示す。貯蔵弾性率は周波数に対して単一べき乗則(べき指数a<1)に従うことが知られている[5]。一方で、損失弾性率は、低周波数領域で貯蔵弾性率と同じべき乗則に従い、高周波数領域でニュートン粘性(係数μ、べき指数は1)に従うことが知られている。

4.細胞レオロジーのイメージング

図4 多重周波数フォースモジュレーション法の模式図。[10]

 図2の示した、3種類の細胞粘弾性測定法を用いたマッピング測定も行われている。応力緩和測定[7]とクリープ測定[8]の時間領域測定では、短時間の緩和挙動を測定することにより、マッピングを実現している。しかし、測定時間と測定精度とはトレードオフの関係にあるため、マッピングにより精度は下がる欠点をもる。この問題を解決する方法として、多重周波数モジュレーション法が提案されている(図4)[9][10]。本手法は、多数の周波数を重畳した信号を用いてフォースモジュレーション測定を行うことにより、1周波数のフォースモジュレーションとほぼ同じ速さでマッピングが可能である。細胞レオロジーの高速定量マッピング測定への展開が期待される。また、図3に示すような1kHz以下の周波数応答ではないが、AFMカンチレバーの共振周波数やその高調波を用いた細胞粘弾性の高分解能イメージングも報告されている[11]

5.細胞力学物性の網羅計測

 生体計測の難しさの1つは、測定値の標準偏差が大きいことである。そのため、細胞物性計測においても、多数の細胞を計測する網羅計測技術が必要になる。細胞力学特性の網羅計測には、MTC法(magnetic twisting cytometry)[5]とマイクロ流路法(光ストレッチャー(optical stretcher)法[12]や流体力学的手法[13])が広く使用されている(図5)。

図5 単一細胞力学物性の網羅計測法。計測精度、スループット、測定可能な細胞種に関する比較。
MTC法は、細胞表面に接着させた磁気ビーズさせ、外部変調磁場による磁気ビーズの変位から細胞の弾性率を測定する。光学顕微鏡観察により多数の磁気ビーズの変位を一度に測定できるので多数細胞の計測に適している。一方で、マイクロ流路法は、外力によりマイクロ流路を流れる浮遊細胞を変形させて、細胞全体の力学特性を高速に測定することができる。一般に、AFMは多数の細胞計測に不向きであるが、AFMとマイクロ加工基板を用いて多数の細胞を測定できる(図5)[14][15]。MTC法の欠点として、細胞内の測定位置を制御できないことがあげられる。また、マイクロ流路法は、接着細胞を脱着して測定しなければならない欠点である。AFMはそれらの欠点を補う計測方法として期待されている。

6.がん細胞の力学

 AFMフォースカーブ測定によるがん細胞の力学診断に関する研究が進んでいる。1999年に正常細胞とがん細胞(株化細胞)のヤング率が有意に異なることが初めて報告された[16]。2007年に患者から採取・単離した正常細胞、良性がん細胞、悪性がん細胞のヤング率にも有意差があることが報告され、AFMによる細胞力学診断技術の可能性が指摘された[17]。また、2012年には、AFMによる、がん細胞と細胞外マトリクスを含む生体組織の弾性率測定が行われ、組織の弾性率ががんの進行度により変化するとの報告がなされた(図6)[18]

図6 a 乳がん組織を摘出し、AFM測定を行う。b正常組織(上)、良性組織(中)、悪性組織(下)のヤング率分布と染色画像。[18]

 細胞集団や生体組織の系において、高精度な力学的がん細胞診断を実現するためには、ヤング率以外の力学量も考慮した多角的な力学診断技術の開発が必要になる。細胞レオロジーは少なくとも3つの力学量で表現されるため[5]、細胞レオロジーによるがん診断はその候補の1つである。細胞パターニング技術やマイクロ流路技術とAFM計測技術との融合により細胞診断の高速化技術も加速するであろう。近年、細胞表面の吸着力の測定[19]の高速化・高分解能化が実現されているが[20]、がん細胞診断においてもこれら吸着力測定技術は重要になろう。

7.単一細胞から生体組織へ

 生物学分野において、細胞力学に関する研究は、単一細胞から生体組織の高次な生体システムの理解へと急速に拡大している。組織形態形成や初期胚の構造形成が、細胞内・細胞間の力学的相互作用と密接に関係していることが明らかになってきたからである[21]。このような大きなスケールの生体組織の力学物性の研究には、(1)組織の弾性率を細胞内分解能で計測すること、(2)細胞間の力学相互作用を直接計測することが重要となる。(1)に関しては、数100μmからmm・cmスケールの生きた組織を長時間計測可能なSPM装置の開発が必要である。このような計測により、細胞間力学コミュニケーションに関する詳細な知見が得られるであろう。(2)に関しては、細胞間フォーススペクトルスコピー法[22]も有用な手法の1つであろう(図7)。

図7 細胞間フォーススペクトルスコピーの模式図[22]
細胞間フォーススペクトルスコピー法は、AFMカンチレバーに1個の細胞を接着させて、その細胞とサンプル細胞との間の接着力を測定することができ、受精卵の内胚葉、中胚葉、外胚葉を構成する細胞の細胞間接着力の計測などに利用されている[23]

 細胞間フォーススペクトルスコピー法は、カンチレバーに細胞を接着させる操作が煩雑である。この問題を解決する方法として、複数のカンチレバーを用いて細胞をマニピュレーションし細胞間接着力を測定する手法も提案されている[24]。今後、生理条件下の生体組織計測に適した多探針技術の発展が期待される。また、AFMと蛍光観察から細胞間に働く力を算出する手法も提案されている[25]。AFM力学計測に超解像光学顕微鏡や光刺激法を組み合わせた複合技術は、細胞・組織の力学構造や力学応答の理解に欠かせないものになるであろう。今後、AFMによる細胞集団・組織の力学物性の詳細が解明され、組織・臓器の作製に関する再生医療の産業応用に大きなインパクトを与えるであろう。


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